2005.9.1 弊社社長の阪神大震災被災体験
株式会社アイケンの代表取締役をしております川﨑です。 防災の日に際し、阪神淡路大震災を神戸市内にて被災した一被災者として、実際に大きな災害に被災した際にはどういった体験をするのか。どんな事に不便を感じるのかを、少しでもたくさんの方に知っていただきたく、今回手記を掲載致しました。私の被災いたしましたのは、神戸市中央区、大きな被害が全国に報道されました「三宮」から徒歩15分位の場所です。平成7年1月17日当日、「ドーン」という大きな衝撃音で目が覚めました。
「地震だ!」
5階建てのマンションの3階に住んでいたのですが、テレビは飛ぶ、茶箪笥は倒れる、家の中は惨憺たる有様でした。
周囲からは悲鳴や叫び声があちこちから聞こえます。
幸い私は家族共々怪我もせずにすみましたので、大きな揺れが収まると、まずは家の中を片付けました。3時間程かかって大きな物は何とかしましたが、ライフラインが全て止まっているので水も掃除機も使えず、飛び散ったガラスの破片等はそのままです。普段から備えを意識した生活をしておりませんでしたので、ラジオを聴こうにも乾電池が切れてしまっています。大変な地震だとは思うのですが、全く情報の入る術が無いために、何が起こっているのか全くわかりませんでした。
乾電池を買おうと近くのコンビニへ行ったのですが、地震発生から4時間ほどしか経っていないにも関わらず、店内は全く何もありませんでした。周囲の何軒か回りましたがどこも同じです。1月の非常に寒い時期でしたので、暖を取りたくて自動販売機の温かいコーヒーを探したのですが、当然電気が切れているので保温されている筈もなく、こちらも機械本体がこじあけられて空っぽでした。この手記をお読み頂いている皆さんは、「店に買いに行く」「温かいコーヒー」なんてあの悲惨な震災の中である訳がないだろうとお思いかも知れませんが、それは後から様々情報で分かる事であって、直面した当事者は最初は日常の延長でしか物を考えられないものなのです。
何より困ったのは夜になっても灯りが無いことです。冬の夜は早くやってきます。家の中は片付けられないガラスの破片が飛び散っているので、足元が見えない状態では危なくて歩く事もできません。通常都会の夜は様々な明かりに満ちておりますので、家の電気が点かない位はそんなにたいした事が無いように思いがちですが、街中の灯りが消えた中、家の中は全くの暗闇です。最初の2、3日は仏壇に供える細いろうそくがありましたので、何本か揃えて点けたりしましたが、ろうそくの明かりは非常に暗く移動するとすぐに消えてしまうなど、とても不便なものです。1本の蛍光灯の明かりの有り難味をあれほど痛感した時はありませんでした。
2日目の夜になり、別の街に住んでいる息子からの携帯電話が繋がった時に、初めて神戸の街が大変な事になっている事を知りました。三宮まで15分の距離に住んでいながら、テレビもラジオも使えないために、何が起こっているのかが何もわからなかったのです。次の日、通常の倍以上の時間をかけて三宮まで歩いて行き、初めて惨状を目にしました。この時にはじめて大変な事が起こってると実感が湧きました。同じ神戸の街に住んでいるのにこんなにも大変な災害が全く分からなかった事に、改めて大きな衝撃を受けました。
この頃になると、自衛隊の給水や自治体からの食事の配給が始まりました。最初はお弁当やおにぎり。数日経つと菓子パンや缶詰など、避難所へ貰いにさえ行けば1日3食きっちりいただけるので、食べる物には事欠きませんでした。私の住んでいるマンションは幸い大きな損傷はありませんでしたので、避難所へ行く事などは考えもせず、どうすれば自宅で少しでも快適に暮らせるかだけを考えました。災害の報道は、倒壊した建物や避難所のシーンだけがクローズアップされますが、実際には避難所で生活される方は全体の1割ほどで、私のようにライフラインの止まった自宅で生活される方がほとんどです。ですから、より以上に「電気が無ければ何も出来ない」事を痛感します。テレビやパソコン等の情報・電話。前述の照明もそうですし、最近ではオール電化のマンションも増え、電気が無ければファンヒーターも動きません。
停電は1週間続きました。
1月の半ばの厳冬期でしたので、暖を取れないのは相当辛い想いをしました。前述の自治体からの配給される食事も当然冷たいままです。自衛隊の給水ももちろん水です。ガスも電気も使えないので、暖める術がないのです。高齢者やご病気の方などは、寒さが影響して体調を崩し亡くなられた方もたくさんいらっしゃったと後でお聞きしました。1度、炊き出しの豚汁があるとうわさに聞き、1時間ほど歩いたり並んだりして戴く事ができました。この時食べた1杯の暖かい豚汁のおいしさは忘れる事が出来ません。非常時に、また寒い時期に、暖かい食事や飲み物がどれだけ安心感や安らぎを人に与えるかを痛感しました。
情報社会の中に暮らしており、世界中の情報が瞬時に分かるような気持ちで日々暮らしていたのに、「電気が止まった」それだけの事ですぐ近くの街で起きている未曾有の大災害が何一つ分からない・・・。電話もできない・・・。暖も取れない・・・。
この体験で、現代社会において電気の私たちの生活に及ぼす影響が如何に大きいかを痛感した事が、この度私が弊社を通じて非常用バックアップ電源『安心』を製品化し、皆様にご案内する事につながります。 「あの時に、この非常用バックアップ電源『安心』と車用電源『ACE』があればどれだけいろんな場所で役に立っただろう。」 これは現在の私の偽らざる気持ちです。